天児屋根命
(アメノコヤネノミコト)
アメノコヤネノミコトの名は、『古事記』や『日本書紀』等に見られます。
以下は『古事記』の「天岩戸神話」にでてくるアメノコヤネノミコトを紹介したものです。

スサノオノミコトが、アマテラスオオミカミの神聖な機織屋(はたおりや)にやってきて、乱暴な行為をしたので、機織女(はたおりめ)はそれを見て驚き、機具の梭(ひ)で突いて死んでしまった。その事件を見て、アマテラスオオミカミは恐れて、天(あめ)の岩屋戸(いわやと)を開き、その戸を閉ざしておこもりになった。すると高天原(たかまのはら)はすっかり暗くなり、葦原中国(あしはらのなかつくに)も全く暗くなった。そのためあらゆる悪い出来事が至る所で起こったので、数多(あまた)の神々はアメノコヤネノミコトとフトタマノミコトをお呼びになって、祭式の次第を準備させた。祭式に必要な様々な品は、フトタマノミコトが神に献上する尊い幣として捧げ持ち、その捧げ持った榊の前でアメノコヤネノミコトが尊い祝詞(のりと)をことほぎ申し上げた。

また、『古事記』にアメノコヤネノミコトの名は、「天孫降臨神話」にも以下のように出てきます。
 

ヒコホノ二二ギノミコトが天降り(あもり)なされようとする時に、天降りの道が幾つにも分かれている所にいて、上は高天原を照らし、下は葦原中国を照らす異様な神があった。その神は、「私は国つ神で、名はサルタビコノカミと申します。ここに出ておりますわけは、天つ神の日継の御子が天降りなさる」とこうしたことがあって、次にアメノコヤネノミコト・フトタマノミコト・アメノウズメノミコト・イシコリドメノミコト・タマノヤノミコト、合わせて五つの部曲(かきべ)の族長にそれぞれ職務を分担させて従者に加え、ニニギノミコトは天降りなさった。

ちなみに、『古事記』の本文に其の天児屋根命は〔中臣連等の祖(おや〕。とある。

<考察>ここから、アメノコヤネノミコトは中臣連の祖先であることがわかる。
      春日神社にこの神を祭り始めたのは中臣氏ではなかったのであろうか・・・。

      春日神社は、須久久神社二座のうちのひとつといわれているが、
      須久久神社には、中臣清麻呂が創建したという伝承もある。
      この伝承からも、春日神社が中臣氏によって建てられたといえよう。

      その他、大職冠神社阿武山古墳に中臣鎌足の墓所が残っているという
      伝承もある。
 
 

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