中臣清麻呂について・・・

中臣(藤原)鎌足の一族である大中臣清麻呂は、

右大臣を退いてから中臣氏ゆかりの太田・安威よ

り少し西の寿久郷(宿久庄)に住むようになった。

その時、藤原氏の氏神の春日大社を、一座を須久
 
々山(須久々神社)他の一座を春日山(現在の春

日神社)に奉還した。

☆「茨木の史跡」より引用。

※鎌倉時代初期の<神宮雑例集>に載っている。

国子の會孫。国足の孫。意美麻呂の子。東人の弟。

子老、継麻呂、諸魚、今麻呂らの父。名を浄万呂に

つくる。

須久々神社を調べてきずいたこと!!

中臣清麻呂はもう一座を春日山に建てた。

それが今の春日神社である。春日神社に

は、アメノコヤネノミコトが祭られている。

須久々神社にはアメノコヤネノミコトでわな

スサノヲノミコトイナダヒメノミコトが祭られ

ている。
 
 
 
 
 
 

 

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