藤原鎌足(614〜669年)
          
          ↑鎌足と思われる人物が埋葬されていた阿武山古墳の墓室と周溝
645年 天智天皇に取って代わって、天下を取ろうと考える蘇我氏を中大兄皇子と一緒に滅ぼし大化の改新を起こす。
669年10月15日 天智天皇より大職冠と大臣の位、藤原の姓を授かる。
       16日 私邸にて薨ずる。

鎌足と茨木の接点

三年春正月の乙亥の朔(一日)に、中臣鎌子連を以ちて神祗伯に拝す。

再三固辞びて就らず。疾を称して退でて三島に居り
                                           (↑茨木の事)
中略

冬十月の丙午の朔にして乙卯(十日)に、天皇(天智天皇)、藤原内大臣の

家に辛して、親ら所患を問ひたまふ。

辛酉に、藤原内大臣薨りぬ。

参考書 新編日本古典文学全集本『日本書紀』B

私の推測・・・

三島の私邸に住んでから鎌足が薨じるまでの間に、私邸を何処かへ建て替えた

いうような事が書いてありませんでした。

この事から私は「鎌足は三島の土地で亡くなったのでは?」と考えました。

                  という事は、茨木市で鎌足は亡くなり、同じ茨木市にある阿武山古墳に埋葬されたのではないでしょうか。

                        後、上の系譜で鎌足とつながりがある「天児屋尊」は、鎌足の祖先です。

                         そしてこの茨木市には天児屋尊を祭っている神社等が多々あります。
                                              ↓
                                  阿為神社 春日神社 新屋坐天照御魂神社

                  こんなにも茨木市と藤原家の接点があるということは、茨木市にある阿武山古墳が鎌足の墓

                                 であってもおかしくないと私は思いました。

                                        
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