加藤康子さんのブログ
絵すごろく 2006年09月30日(土)
教養科目に「日本のあそび」という科目があります。ここのところ私が担当させてもらっています。日本のあそびは結構大きなテーマですから、いろいろなやり方ができると思います。私は、自分の研究テーマから、「絵すごろく」を取り上げています。
学生さんの中から、他のあそびもやって欲しいという要望を聞くこともあります。けれども、この授業は日本の文化としてのあそびを知り、考えることが目的だと思います。とすれば、「絵すごろく」は適切な素材の一つだと思うのです。
「絵すごろく」は西欧にも中国にもあったようです。日本ではいつからあったのか諸説ありますが、江戸時代の初期には木版で出版したものがあったと考えられています。当初は仏教の勉強として仏様やお経の名前を覚えるためのものだったのではないかと思われますが、次第にその内容は多岐にわたっていきます。森羅万象といわれるように、ありとあらゆるものが素材になり、多様なテーマが多くの絵すごろくを生みだしてきました。江戸時代中頃からどんどん進んでいった木版画の技術、さらに絵に対する日本人の豊かな感覚が、それを支えていたのでしょう。
多様なテーマの中には「遊び」も少なくありません。「絵すごろく」を見ることで、庶民文化を様々に視覚的に見ることができると思うのです。かつての豊かな文化を知って、それをヒントに現代の社会や文化を見たとき、新たな絵すごろくを創ることができると思います。学生さんたちが創作に取り組むとき、かつての庶民文化も、現代の文化も自分の問題として向き合ってくれるのではないかと期待しているのです。しかも、能動的にならなければ創作はできません。それもねらっているのです。
古い絵すごろくってどのようなものだろうと思ったとき、最近はインターネットでもかなり見ることができます。いくつかの図書館や博物館、資料館などが、所蔵している作品を公開してくれています。また、展覧会があると、その情報として紹介されている場合もあります。浮世絵や古書を販売している店のホームページで図版が出ていることもあります。個人や団体のホームページで、所蔵作品を説明するために図版を見せてくれていることもあります。絵すごろくは、大きいものが少なくないので、図版をデータ化するにはそれなりの技術も手間も費用も必要になります。デジタルカメラなどの技術が上がってきたので、プロではない方でも、プロ並みの図版を用意する方が出てきています。便利にはなってきていますが、著作権、所蔵権のため、何でも公開されているわけではないので、現在見ることのできる図版は有り難い限りです。授業では、東京学芸大学附属図書館の双六コレクションのページを紹介しています。http://library.u-gakugei.ac.jp/lbhome/sugoroku.html
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伊曾保物語 2006年09月29日(金)
金曜日の3講に近代以前日本児童文学講読をやっています。『伊曾保物語』を取り上げています。
2000年以上前、紀元前にヨーロッパのギリシャ付近で、身分は低くて醜いが大変賢い男がいました。イソップと呼ばれるこの男が智恵を働かせる話、この男が話したといわれている人間社会のさまざまな出来事を動物にたとえた話、それらを集めたのが、イソップ寓話です。これがはるばる日本にたどり着いて、日本語に訳されたのが、伊曾保物語です。西洋の話を初めて日本語訳したものと言われていますが、ローマ字で表記されたもの、仮名を中心として表記されたもの、挿絵が入ったもの、など、いくつもの本が残っています。授業のテキストは万治二年に刊行された挿絵入りの『伊曾保物語』です。
テキストの中の一つ一つの話を読むのですが、いろいろな伊曾保物語やイソップ絵本などと読み比べる方法で、万治二年絵入り本『伊曾保物語』の特徴をとらえ、そこから人生や社会や人間について自由に考えてみたいという授業です。
先週は「蟻と蝉との事」を取り上げました。現代では「ありときりぎりす」で知られる有名な話です。日本で初めて訳したときは、最後に蟻は蝉にえさを分けてやります。ところが、ヨーロッパで伝播していった話を近代になってから多くの方々が訳していますが、蟻はえさを分けてやらないものが多いのです。テキストの万治二年版もえさをやりません。一方、受講の学生さんたちに聞いてみると、子どもの時に読んだものはえさをやっていた、と記憶していた人が結構いました。あなたは、この結末の違いをどのように考えますか。
また、佐野洋子氏はこの話をベースにして、対照的な蟻の生き方ときりぎりすの生き方を浮き上がらせ、どちらがよいか考えさせるような話を創作されています。イソップ寓話でも、伊曾保物語でも話の最後に教訓が付いているものが多いのですが、教訓では長く蟻の生き方を勧めてきました。でも、きりぎりすの生き方に注目したのが、佐野氏の創作です。あなたは、どちらの生き方に共感しますか。
万治二年の伊曾保物語には挿絵が付いていますが、江戸時代には別の挿絵がついているものもあります。近代以降のイソップ寓話も挿絵、絵本とさまざまな絵の表現があります。時代や画家によってずいぶん表現の仕方が違うのです。フランスでは、ラ・フォンテーヌが同様の話を伝えていますが、こちらも様々な絵があります。それぞれの絵を楽しみたいと思います。あなたは、どの絵が気に入るでしょうか。
子どもの読み物としてもよく知られているイソップですが、その日本古典版を読み解いていこうと思います。万治二年の伊曾保物語は一味違ったおもしろさがあります。そこには当時の人々の考えがあらわれているのだと思うのです。覗いてみると建前よりは本音が見えるのです。そこがおもしろいと思います。受講者が自分の考えを多く出してもらえるように、発表も含めてやっていこうと予定しています。
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マナーとしつけ 2006年09月28日(木)
子どもの時、よく父や母から叱られましたが、いくつかのことは今でも鮮明に覚えています。
狭い家の中で、他の人が通るときに身をよけないででんと座っていると、「通ると思ったら、どきなさい」と言われました。ぼんやりと気づかないでいるとよく言われました。
生卵を温かいご飯にかけて食べるとき、卵がこぼれないように、ご飯に少しへこみ、つまり穴を開けなさいよ、と父に言われました。「はい」と答えればよかったのに、「わかったよ」と言って、叱られました。「「はい」と言いなさい」ときつい調子で、がばっと言われました。
小学校の六年になる直前だったか、六年になると大変だ、と思って不安だったのか、「いやだなあ」と何回かか言っていました。何回目かに、「いやだ、いやだと言うんじゃない」とびしっと言われました。
父だけでなく、母にもぴしゃぴしゃと言われました。叩かれたことはほとんどなく、言葉でしたが、口ごたえなどとてもできそうもないくらいの調子でした。たしかに言われても仕方がないことばかりでしたが、お腹の中ではそんなに言わなくてもと思いました。でも、あんまりびしっと言われるので、やっぱりまずいかという思いでした。
私のこんな体験は、若い人たちにはどのように思えるのでしょうか。自分が親になってから、息子を叱るとき、こうした自分の経験が基になっています。家人も昔ながらの親たちに育てられたせいか、私よりも基準がぶれないようでした。
息子がまだ本当に小さな時、休日に親子三人できれいな小物を売っている店に立ち寄りました。帰ってきてみると、息子が店の売り物の鈴を、親が気が付かない内に持ってきていました。ありゃ、と思っていると、父親が、明日すぐに返しに行くように、行って母子で謝るようにと言いました。全く迷い無くぶれずに主張する父親に突き動かされて、翌日私は息子と一緒に返しに行き謝りました。店の人は、よく返しに来たと行って、鈴を改めて息子にくれました。それ以来、ずっとその鈴をみんなが見えるところにぶら下げ、その時のことを忘れないようにしてきました。
やはり息子が小さな時、旅行の最後に、なくさないようにと注意していたのに息子が切符を無くしてしまいました。駅の中で、父親はがんがん叱りました。そこまで言うかと思うほど、ゆとりを与えずに徹底的に叱りました。駅の人は状況を認めて通してくれましたが、息子は自分が悪いと思ったのでしょう、じっと耐えていました。
それから十数年経ち、息子は遠い町で一人暮らしをするようになりました。父親と母親は二人だけの生活になって、子育ての現場からは離れました。先日、二人でバスに乗りました。バスの中は混んでいました。そこへ二組の親子が乗ってきました。
一組は小さな男の子とおとうさん。「混んでいて嫌だよ、降りたいよ」と子どもは繰り返しています。お父さんは何とか子どもと一緒に座りました。「座れたから良いじゃない」「いやだよ、……」男の子は何か文句を言っています。「そんなこと言うなよ」と父親は困ったように言いました。
もう一組は、小学生の女の子とお父さん。女の子はバスの中央で柱をつかんで仁王立ちでした。後ろから乗ってきた人が通れない状況でした。だいぶ経ってから、父親が注意し、やっと横によりました。
バスを降りてから、思わず家人ともっとしっかり親が叱らなくちゃいけないと言い合っていました。
昨日夕方歩道橋の階段を降りていくと途中で若く美しい女性が、仁王立ちで何かやっています。携帯を見て何かやっているようです。真ん中で足を広げているので、通りにくいのですが、全く動く様子がありません。仕方なく、横をすり抜けましたが、女性の荷物にぶつかってしまいました。
日々の生活で、マナーとしつけを考えさせることによくぶつかります。他人のことばかり目に付きますが、振り返ってみれば、私自身がマナーにふさわしくないことを結構やっています。それを棚に上げてということになりますが、ささいな事のようで、多くの人が一緒に生活している社会では、気持ちよく生活するために気をつけなければならない、身につけなければならないマナーがあると思います。それは、子ども時代に親が、あるいは身近な大人がきちんと教えなければならないのだと思います。私自身がきちんと教えてきたとも言えないのですが、自戒を込めて大人は教えなければならないのだと思うのです。
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ここのところ、何人かの方々に荒井良二氏の『きょうというひ』を紹介しました。何冊か荒井氏の作品を読んだ中で、この作品に心惹かれたからです。この作品は、絵も文も荒井良二さんがかかれています。
きょうというひのために、セーターを編み、帽子をかぶり、マフラーをし、小さな祈りの灯をともすのです。消えないように雪の小さなお家を造って。灯が消えないように、消えないように。
短い言葉の繰り返し、次第に増えてくる灯火の絵、その光り輝くような画面が、願いを込めた文章と重なり合うと、胸に迫ってくるものがあります。
クリスマスを象徴しているようにも思いますが、灯火が増えていく画面の下には町並みのようなものが見え、それは都会の家並み、ビルのようにも見えます。灯火は町中に住む人々の生活のようにも、願いのようにも、命のようにも思えます。
幼い子どもでも、大人と共に読むことで、何かを感じる時間を共有できるのではないかと思います。でも、高校生や大学生、十代から二十代の方々には、心に訴えるメッセージがあるのではないかと感じました。そして、さまざまな体験を重ねてきた、いろいろな世代の大人には、その経験の記憶と画面が重なり合うと、いろいろな思いがわき上がってくるのではないでしょうか。それをいとおしむような祈りが、心を和らげてくれるような気もします。
絵本は、言葉と絵の相乗効果、総合芸術といいますが、この絵本はそれを実感させてくれます。
この絵本を創った荒井良二氏が、今年の学園祭でワークショップをして下さることになっています。11月2日のその時がとても楽しみです。
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『児童文芸』 2006年09月26日(火)
『児童文芸』は、日本児童文芸家協会が編集・発行をされている雑誌です。編集委員には、梅花女子大学児童文学科の横山充男先生も加わっていらっしゃいます。2006年の8・9月号を拝見する機会を得ました。
特集は「夏休みという魔法」。夏という季節、夏休みという長期休暇がもっている独特の雰囲気を、「魔法」として示す特集はなかなか魅力的です。
「寄稿 文芸レポート 「夏休み」はどこへ行くのか?」で相川美恵子氏は、夏や身を描いた作品を論じておられます。「寄稿 レポート モンゴルの子どもたちの夏休み 遊牧民の自覚を育てる季節」はもり・けん氏のモンゴルからのレポートです。何度もモンゴルに通い続けられたもり・けん先生は、日本人がカルチャーショックを受けるようなモンゴルの文化を報告しておられます。
「おすすめ夏物語? 光る川面、光る少年、光る涙」では、梅花女子大学児童文学科卒業の楠章子氏が、横山充男氏の『少年たちの夏』『光っちょるぜよ! ぼくら』『おれたちゃ、映画探偵団』を夏になると読みたくなる生き生きとした少年たちの物語として紹介しておられます。楠氏は『神様の住む町』でデビューされ、高い評価を受けておられます。卒業後、児童文学作家として活動を続けておられるお一人です。
『児童文芸』のこの号には、児童文学科を育ててこられた川村たかし先生の「続・児童文学の方法(二十八)」、短期大学部でお教え下さっている越水利江子先生の「連載創作 ゆめうりそうろう 第四回」など多くの読み物や記事が掲載されています。
児童文学の創作を目指している方々は読んでおられると思いますが、この機会にご紹介させていただきました。表紙には、剣持晶子氏のイラストが描かれています。蝶やトンボが飛ぶ野草が生い茂る中、ワンピース姿の一人の女の子が笑っています。来ているワンピースもおかっぱ頭も、少し古めのデザインですが、夏休みが不思議に満ちていた頃のイメージなのでしょう。あなたの夏休みはどうでしたか?
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子どもと関わる仕事を志す高校生はものすごく多いとは言えませんが、確実にいます。最近は男子生徒も増えています。今年の春から何回か、そうした高校生に進路について話をする機会がありました。子どもに関わる仕事には何があるのか、そうした仕事に就くためにはどうすればよいのか、そうした話が期待されているのです。私が強調したいことは2つ。
1つは、子どもに関わる仕事には資格が必要なものも少なくありません。その場合には、資格の取れる学校に入るための勉強、学校に入ってから資格を取るための勉強は、もちろん大切です。そのために高校時代の基礎的な勉強、基礎的な生活習慣や体力を身につけること、これらはしっかり取り組んで欲しいと思います。
2つ目は、最近思うことなのですが、子どもに関わる仕事についた後、その仕事をやりがいのある仕事と意識し、仕事にはつきものの壁にぶつかったときもそれを乗り越える気持ちを持てるためには、仕事の喜びを味わえるような力も必要ではないかということです。
子どもに関わる仕事では、子どもの笑顔、きらきらする眼、夢中になっている姿に触れ、子どもの心と触れ合う、楽しい思いを共有できる時間を経験することが仕事の喜びであり、やりがいにつながるのではないかと思います。
そうした時間を共有するために、私が高校生の皆さんに提案したことは、今、高校生が楽しいと思っていることを大切にして欲しいと言うことです。何が楽しいかと聞くと、友達と一緒にいること、友達としゃべり笑い合うこと、好きな部活(スポーツ、音楽など)をしていること、好きな趣味に没頭していること、などが上がってきます。小さな子ども達でも友達との時間、体を動かすこと、歌うこと、など、高校生の楽しみとも相通じることがあると思います。自分の好きな得意分野を、一つでも、子ども達との共有時間を持てる材料として持っていて欲しいと思うのです。
具体的に提案することの一つは、絵本です。子どもはお話が大好きです。お話を聞くこと、お話を絵本の世界で楽しむこと、絵本を読んでもらうこと、こうしたことが大好きです。最近は絵本の世界が広がり、高校生や大人が楽しめる絵本もあります。子ども達が繰り返し読む絵本、日本の昔からの伝承を伝える絵本、外国のお話を伝える絵本、大人も高校生もじっくりと考えられる絵本、……。絵本の世界は、子どもと共有できるものの一つだと思います。
子どもと関わる仕事を真剣に目指している高校生に、子ども達と楽しい時間を共有することが、子ども達のためでもあり、仕事に取り組む大人のためでもあることを伝えたいと思っています。そして、その楽しみの一つとして、児童文学、絵本、伝承を見つめていただければ、と願っています。
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カット 2006年09月24日(日)
円地文子氏や幸田文氏のエッセイで、自分の顔をどのように演出するか、苦労する話があります。簡単に言えば、どういう化粧をするかということですが、ただ化粧品や化粧の技術だけではないようです。自分らしく、よく見せるにはどうするのか、苦労したというのです。
若い中・高生、大学生と接する仕事をずっとしてきましたので、このことは決して小さなことではないことはよくわかります。女の子だけではありません。男の子にとっても大問題です。息子は小学生の頃までアトピー性皮膚炎が顔にひどく出ていましたので、かゆいとか痛いとかの外に、イライラするとか恥ずかしいという心の問題も抱えていたと思います。そうしたことがなくても、顔の問題はそれぞれにとって重要なのだと思います。
私自身も私なりにどうするか考えることもありました。ただ、それは若い時代だけの問題ではないのです。ある程度自分のやり方を編み出しても、年を取ると条件が変わってきます。例えば髪の毛は、白髪になり、細くなり、腰がなくなってしまいます。パーマをかけても、まとまりは若いときのようにはいきません。白髪を染めてもすぐ根元から白くなってきてしまいます。どうすれば若々しく見えるのか、いろいろとやってみても思うようにはいきません。
道を歩いたり、電車に乗ったとき、駅で待っているとき、観劇の待合い時間などに、年配のご婦人をちらっと拝見し、どうしたらあのようにかっこよく年を取れるのかなと思ったりするのですが、うまくいきません。努力が足りないのだと思うのですが、どうしたらいいのかな。
この夏、思い切って、パーマと白髪染めを止めました。カットのみでやってみました。これはとても楽なのです。特に地肌は生き生きしてきました。こりゃいいかな、毛の腰がなくなってきたから、かえって切りっぱなしがいいかなと思っていました。ところが、先日、久しぶりに授業で高校生や大学生に会ったら、ストレートにしたの、カットしたのと言われてしまいました。カットしてからしばらく経っていましたから、伸びてきた毛をカットしなくてはと思っていたのに、こう言われたのは、ペシャンとしているからかな、と気にしながら帰ってきました。身だしなみにカットはしましたが、どうでしょう。身ぎれいにはできたでしょうか。
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ひきつづき、もり・けん先生の活動についてご紹介します。児童文学、児童文化に心を寄せる方には興味深い内容もあるのではないでしょうか。もし、関心のある方は、それぞれの連絡先に問い合わせをしてみて下さい。
?もり・けん「導かれてネパールへ」出版記念セミナー&コンサート?日本ネパール交流50周年記念イベント?
内容:初めて足を踏み入れたヒマラヤの国、そこでもり・けんが出会ったヒト・モノ・コト…。ヒマラヤを眺めながらのトレッキング、初めてハーモニカを見た、聴いた村人や学校でのふれあいコンサート、珍道中のエピソードとやっと政情が安定してきたネパールの今、をお伝えします。
日時:11月3日(金)18:00?20:00 大阪ハービスプラザ3階旅のセミナールーム
参加料金:無料
定員:50名(要予約)
申込先:(株)風の旅行社大阪支店(水曜定休)tel. 0120-987-803 fax. 06-6343-7518 e-mail osaka@kaze-travel.co.jp
?もり・けんさん同行「地球の仲間」 ネパール・ヒマラヤの国へ 日本の心・文化を携えて
内容:ネパールへの旅の企画
期間:2007年2月16日?24日
連絡先:現地プログラム企画 もり・けんプランニング tel.fax. 0725-44-2735/旅行企画・実施 (株)風の旅行社 tel.03-3228-1063 fax.03-3228-5174
?もり・けんのハーモニカ演奏&童謡を歌う会?南吉の「手袋を買いに」の朗読も?
内容:郷愁にも似た懐かしい音色、心に響くハーモニカの演奏を聴いたり、ハーモニカに合わせ、童謡を歌ったりします。合間には民話の朗読もあり、食事タイムも含め、心ゆったり過ごせる秋の1日です。
日時:11月6日(月) 食事会12:00?13:00 童謡の会13:00?15:30
場所:太閤園 会費:4200円 出演:もり・けんさん、堀江みなみさん
申し込み・問い合わせ:読売ファミリー・ランドセル講座「もり・けんのハーモニカ演奏&童謡を歌う会」係 tel.06-6364-7825
??漁村からの贈り物?十六夜コンサート&秋の海浜巡り
内容:お月見伝統料理作り、生石公園散策とシップウォッチング、もり・けんハーモニカコンサート、お月見(朗読&ミニミニコンサート)、由良魚市場見学、成ケ島自然観察&磯遊び
日時:10月7日(土)13:00?10月8日(日)12:00
費用:中学生以上12000円、小学生8000円、4歳以上小学生未満3000円、4歳未満無料
申し込み締め切り:10月2日(月)または定員に達し次第
企画:あわじFANクラブtel.&fax.0799-24-2076
?もり・けん自在流 ハーモニカ講座
内容:ハーモニカを楽しむためのパンフレット(登龍館出版)
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もり・けん先生 2006年09月22日(金)
今日は、しばらくぶりにもり・けん先生にお会いしました。後期の科目「児童書出版編集論」をご担当で、木曜日の5講に出講されているのです。もり・けん先生は長く編集の仕事を続けられ、現在は編集のみならず、作家として、また、ハーモニカ演奏家として幅広い活動をされているのですが、その根底には、子どもたちの幸せをつくっていくためにはどうしたらよいかというお考えがあるように思います。現代のさまざまな子どもに関わる問題を前にして、日本民族が長く伝承してきた歌を親から子へ、大人から子へ伝えていくことの大切さを多くの人々に理解してもらい、浸透させようと考えられているのだと伺いました。そのために、実に多くの活動を精力的にしておられます。そのいくつかをご紹介しましょう。今日は、絵本の出版についてです。
今日は、3冊の絵本を見せていただきました。
『石井方式 心を育む絵本 花園文庫 白い馬の物語』
(石井勲監修、秋吉みき文、村上幸一絵、登龍館)
『石井方式 心を育む絵本 花園文庫 白狐の恩返し』
(石井勲監修、もり・けん文、黒井健絵、登龍館)
『石井方式 心を育む絵本 仲良し文庫 浦島太郎』
(石井勲監修、森山貞則文、田中秀幸絵、登龍館)
いずれも、大判ですが、薄く、軽く、子どもも手に持ちやすい形が工夫されています。角が丸くなっていて、子どもの柔らかい手にもやさしいのです。 最初に読むときに本を開きやすいように折り目もついていて、細かく心遣いがされた本なのです。中には、一緒に読む親や先生などの大人に向けて薄いパンフレットが入っていて、関連のいろいろな知識や注意が満載なのも嬉しい配慮です。内容は、日本民族が伝えてきた昔話や物語、あるいは他の民族が伝えてきた心に響く物語です。文字遣いはあえて漢字を混ぜて、目からもいろいろな刺激を子どもたちに与える考え方をとっています。
以前、『一寸法師』を出版されたときは、中のパンフレットに少し文章を書かせていただきました。この本は授業でも紹介したのですが、あるようでいてない絵本でした。今日の3冊も伝承を伝える絵本として注目すべきものと思います。こうした絵本の出版に、もり・けん先生は心を尽くしておられます。
3冊の中で、『白い馬の物語』は有名な絵本『モンゴル民話 スーホーと白い馬』(大塚勇三再話、赤羽末吉画、福音館書店、1967年刊)と同様の馬頭琴由来の悲しく美しい話です。『スーホーと白い馬』は今でも読み継がれ、小学校の国語の教科書にも載って、広く知られています。『白い馬の物語』は作者自身が遊牧民と交流を持ち、その中での取材から絵本にしていったのだそうです。少年の名前を、モンゴル人に多い「ムンフ(永遠の意味)」にしたり、モンゴルの平原の空気に包まれる思いで絵を描いたそうです。
これらの本は近々図書館に入れていただこうと思っています。なお、もり・けん先生はご自身のホームページ(http://www1.linkclub.or.jp/~mori-ken/index2.htm)をお持ちです。
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後期が始まりました。今日は、二つ授業がありました。一つは大学院の特別講義です。豆本を扱っています。もう一つは教養科目の「日本のあそび」です。こちらは絵双六を扱っています。
豆本と絵双六は30代後半ぐらいから、私の中で行きつ戻りつしてきたテーマです。資料を集め、整理し、分析しながら何となく自分なりのイメージをつかみかけたところで、本にまとめたテーマです。それでようやく自分の問題として意識できるところまで来たのですが、実はここからが本番なのでしょう。でもそこからが難しく、遅々とした歩みが続いています。
授業で扱うには、もちろんある程度の蓄えが必要なのですが、授業をすることで見えてくるものがあって、さらに考えが深まることは少なくありません。たいていの場合は、聞いている学生さんたちの反応や質問、意見によって、次への一歩が進むわけです。
定説になっている決まった知識を教える授業も、もちろんありますが、今までの説を踏まえながら、新たに考えていく授業もあります。一応の答はあっても、さらに考え続ける授業もあるのです。答が一つに決まらない分野の場合は特にそうでしょう。いろいろなやり方を模索する授業もあります。学生さんが受け身ではすまない授業も多いのです。
今日の二つの授業の受講生の方々は、ずいぶん前向きの反応を示し、感想の紙にはいろいろな意見を書いてくれる積極的な方が多かったようです。今後が楽しみです。
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