加藤康子さんのブログ
『大江戸曲者列伝 太平の巻』(新潮新書、野口武彦、2006年1月刊)、『大江戸曲者列伝 幕末の巻』(新潮新書、野口武彦、2006年2月刊)を読んでいます。
野口武彦氏は、近世文学、近現代文学、日本思想史などを専門にされている、文芸評論家、国文学者。江戸の時代精神論、三島由紀夫論、谷崎潤一郎論などを展開されています。某書店のインターネットで調べてみると、まずはざっと以下の著作が出てきました。
1.江戸は燃えているか 文藝春秋 2006/07
2.長州戦争(中公新書) 幕府瓦解への岐路 中央公論新社 2006/03
3.大江戸曲者列伝(新潮新書) 幕末の巻 新潮社 2006/02
4.大江戸曲者列伝(新潮新書) 太平の巻 新潮社 2006/01
5.「悪」と江戸文学(朝日選書) (OD版) 朝日新聞社(デジタルパブリッシン) 2005/06
6.江戸人の歴史意識(朝日選書) (OD版) 朝日新聞社(デジタルパブリッシン) 2005/06
7.江戸人の歴史意識(朝日選書333) 朝日新聞社 2005/06
8.「悪」と江戸文学(朝日選書170) 朝日新聞社 2005/06
9.幕末気分(講談社文庫) 講談社 2005/03
10.幕末の毒舌家 中央公論新社 2005/01
11.安政江戸地震(ちくま学芸文庫) 筑摩書房 2004/12
12.新選組の遠景 集英社 2004/08
13.蜀山残雨大田南畝と江戸文明 新潮社 2003/12
14.幕末伝説 講談社 2003/05
15.幕府歩兵隊(中公新書) 幕末を駆けぬけた兵士集団 中央公論新社 2002/11
16.近代日本(にっぽん)の詩と史実(中公叢書) 中央公論新社 2002/10
17.幕末気分 講談社 2002/02
18.古典薬用植物染色図譜 葦書房 2000/10
19.三島由紀夫ある評伝 ジョン・ネイスン/野口武彦 新潮社 2000/08
20.幕末パノラマ館 新人物往来社 2000/04
21.江戸のヨブわれらが同時代・幕末 中央公論新社 1999/10
22.江戸の兵学思想(中公文庫) 中央公論新社 1999/05
23.安政江戸地震(ちくま新書) 災害と政治権力 筑摩書房 1997/03
24.小説(一語の辞典) 三省堂 1996/01
25.『源氏物語』を江戸から読む(講談社学術文庫) 講談社 1995/04
26.忠臣蔵(ちくま新書) 赤穂事件・史実の肉声 筑摩書房 1994/11
27.三人称の発見まで 筑摩書房 1994/06
28.荻生徂徠(中公新書 ) 江戸のドン・キホ?テ 中央公論新社 1993/11
29.江戸の歴史家(ちくま学芸文庫) 筑摩書房 1993/10
30.江戸思想史の地形 ぺりかん社 1993/09
31.日本思想史入門(ちくまライブラリ?) 筑摩書房 1993/05
32.石川淳論 筑摩書房 1988/06
33.三島由紀夫と北一輝 福村出版 1992/04
34.日本近代批評のアングル 青土社 1992/03
35.江戸と悪『八犬伝』と馬琴の世界 角川書店 1992/03
36.江戸の幾何空間 福村出版 1991/12
37.近代文学の結晶体(叢刊・日本の文学) 新典社 1991/11
38.江戸の兵学思想 中央公論新社 1991/02
39.江戸百鬼夜行 ぺりかん社 1990/10
40.源氏物語の女性たち(<カセット+テキスト> ) 下 朝日新聞社事業開発室 1987/11
41.秋成幻戯 青土社 1989/02
42.江戸がからになる日石川淳論第2 筑摩書房 1988/06
43.近代日本の恋愛小説(朝日カルチャ?ブックス ) 大阪書籍 1987/11
44.文化記号としての文体 ぺりかん社 1987/09
45.江戸人の歴史意識(朝日選書) 朝日新聞社 1987/07
46.江戸百鬼夜行 ぺりかん社 1985/03
47.江戸わかもの考(歴史のなかの若者たち) 三省堂 1986/10
48.宣長選集(筑摩叢書) 本居宣長/野口武彦 筑摩書房 1986/10
49.王道と革命の間日本思想と孟子問題 筑摩書房 1986/03
50.近代小説の言語空間 ベネッセコ?ポレ?ション1985/12
51.三島由紀夫と北一輝 福村出版 1985/10
52.『源氏物語』を江戸から読む 講談社 1985/07
53.江戸百鬼夜行 ぺりかん社 1985/03
54.江戸人の昼と夜 筑摩書房 1984/08
55.花の詩学 朝日新聞社 1978/03
56.旗は紅に燃えて 新潮社 1977/01
57.谷崎潤一郎論 中央公論新社 1981/04
58.作家の方法 筑摩書房 1981/04
59.江戸文林切絵図 冬樹社 1979/06
60.江戸の歴史家歴史という名の毒 筑摩書房1979/12
61.「悪」と江戸文学(朝日選書) 朝日新聞社 1980/11
62.三島由紀夫ある評伝 ジョン・ネイスン/野口武彦 新潮社 1976/06
大変な仕事ぶりです。それで、納得です。今読んでいる『大江戸曲者列伝』は、某週刊誌に「OH! EDO物語」と題して108回連載したものをまとめなおしたものだそうです。それぞれ一人の人物に焦点をあてて、わかりやすく、具体的に、おもしろくエピソードとその時代を描いています。実に興味深くその人物が浮き上がってくるのです。具体的な資料にあたっていることは想像できますが、何という資料にあたっているのか、そこには何と書いてあるのか、ということはほとんど書いてありません。そのようなことを書いていたら、もたもたしてしまい、勢いのある読者を惹きつける文章にはならないからでしょう。それに、それぞれの人物について膨大な調査と執筆を重ねておられるのですから、そのエッセンスが筆者の中で明確に形作られているのでしょう。自信を持った書きっぷりがぐいぐいと引き込みます。
生の資料、古語で書かれた断片の資料をパズルを組み合わせるように組み立て、そこに生きた文脈を作っていくことは、力も必要、経験も必要でしょう。作家もそうした仕事をなさっているのでしょうが、研究者や評論家は作家がオリジナルな部分を創り出していくのに対して、事実をより明らかにしようとする部分が多いのかもしれません。自在な筆運びながら史実からぶれていないように感じさせる『大江戸曲者列伝』は実におもしろいと思って読んでいます。
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書くこと 2006年08月30日(水)
プログを書き始めて、5ヶ月余。時間が無くて書けない日もありましたが、日数だけは書くようにしようと思い続けてやって来ました。時にコメントで、時に直接、励ましてくださる方々に支えられての5ヶ月でした。
プログは日記と言いますが、不特定多数の方々が全世界で見ておられる可能性があり、それを意識して書きますので、普通の日記というわけにはいきません。でも、書いているうちに、書くこと自体に楽しみが生まれます。「書く」という行為は、「話す」「読む」「聞く」とは全く異なる何かがあると思います。
昔、恩師に「書く」ことは大変難しいが、「書く」ことを身に付け、磨くことは一つの力として重要だという意味のことを言われました。つまり、書けるようになれ、ということです。書けるようになりたいと、思いつつ、これがなかなか難しい。
ところが、「書く」ことには、何か魔力があるのです。書くことにはまるというか、下手ではあるものの、書くことが楽しくなるのです。書くことは自分と向き合うことでもあり、いろいろなものを見ることでもあり、他の人とつながることでもあるからでしょうか。
まだまだ、プログの、そして書くことについての初心者ですが、楽しみつつ書き続けたいと思っています。読んでくださる方々には、もたもたした文章でご迷惑をお掛けしますが、どうぞよろしくお願いします。
そして、何かを求めている方、困っている方、プログでなくていいですから、「書く」ということをなさってみてください。何かあるかもしれませんよ。
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石の花 2006年08月29日(火)
8月の中頃、中国の青磁の展覧会に行きました。青磁といっても色は様々ですが、何とも言えない色合いに心惹かれます。青い玉(ぎょく)も展示されていました。
それらを見ていて、ふと思い出したことがありました。「石の花」という話です。これはもともとはウラル地方の民話で、民話集『孔雀石の小箱』に収められているとのことです。この民話を基にしたバレエがセルゲイ・プロコフィエフが作曲した音楽をもって上演されています。そして、ソ連初のカラー映画「石の花」も作られました。
物語は、ウラルの孔雀石細工の話です。名人のダニーラは王様から「石の花」を作るように注文を受けます。なかなか納得いく作品ができないので、ダニーラはウラルの山中に咲くという石の花を見るために山に出かけますが、そのまま帰らなくなります。婚約者のカーチャはダニーラを探して森をさまよった挙げ句、石の女王の宮殿にたどり着きました。そこには魂を奪われてただ石を掘り続けるダニーラがいたのです。それでもカーチャの愛情の深さが、石の女王を打ち砕き、二人は村に帰ることができたのでした。
私はどういういきさつだったか定かではないのですか、この話が気になり、ソ連の映画を見た覚えがあるのです。一番気になったのは、石の花の色でした。映画の色よりも、自分の中で想像していた色なのかもしれません。青磁や玉を見たとき、これこそが石の花の色だというほどではありませんでしたが、自分の中の石の花の色を思い出しました。不透明で、暗くはない、明るい、でも深い緑と青が混ざった色。ことばではうまく説明できないのですが、私にとっての特別な色。この色に石工の技と娘の純真な愛の物語が加わって、特別なイメージができていたのでしょう。
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広島のお菓子 2006年08月28日(月)
先日、出張で広島へ行きました。大学にはいろいろ地域から学生さんが来ています。そこで、年に3回ほど広島、高松、名古屋などで教育後援会の会合を開き、保証人の方々と教育後援会の役員の方々や教員がお話しする機会を持っているのです。それぞれの会では、生涯学習センターが企画する講演会も開かれます。今回の広島では、私が講演をし、その後教育後援会の会合にも参加し、児童文学科の学生さんのお母様方とお会いすることができました。
その会合で、広島のお菓子が振る舞われました。その包み紙に「は?みてた」と書かれていました。これは何と読むのか、「はしみたて」「はしみてた」「は?みてた」?意味は?ちょっと話題になりました。結局、これは「はーみてた」。もうなくなっちゃった、それほどおいしい、というお菓子なのです。「みてた」は広島弁だそうです。
江戸時代のことばと関係ないの、と問われたものの、即答できませんでした。帰宅後、『日本国語大辞典』を引いてみました。
「はあ」にはいろいろな意味がありますが、副詞の「はあ(早)」は方言で、早くも、もはや、もう、という意味です。「はあ日が暮れた」「はあ始めたか」と使われますが、いくつかの地域で使われている方言です。その中に広島県も入っています。
「みてる(満・充)」は文語の「みつ」から生じたことばで、方言として使われてもいます。方言の場合、?満ちる、いっぱいになる、?事が終わる、果てる、?物が尽きる、無くなる、?人が死ぬ、の四つの意味があるそうです。?の意味は広島県で使われているとありました。
なるほど、と感心してしまいました。辞書を引いただけですが、妙に納得してしまいました。渋皮栗の風味豊かなお菓子でした。
各地域から梅花に集まっている学生さんたちは、故郷のことばや食べ物を懐かしく思い出していることでしょう。また、故郷のご家族も案じていることでしょう。その思いをかみしめたいと思った一日でした。
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東京国立博物館 2006年08月27日(日)
以前、伊藤若冲の展覧会が京都で開かれ、見に行った学生さんが良かった良かったと興奮して報告し、図録を見せてくれました。その細かい描写に圧倒的な力が感じられました。
それから数年経ち、この度東京国立博物館平成館で「プライスコレクション 若冲と江戸絵画」が開かれました。前の時に見損なっていましたので、行きたいと思いながらぐずぐずしていて、最終日になってしまいました。慌てて行ってきました。凄い人混みでしたが、根気強く並んで見ました。若冲以外にも作品が並び、下記のような構成になっていました。
第一章 正統派絵画
第二章 京の絵画
第三章 エキセントリック
第四章 江戸の絵画
第三章に若冲の作品が並んでいます。若冲の作品数はそれほど多くはありませんが、江戸時代の絵画の流れの中に置くことで、若冲の特異さがよく分かるようになっていました。会場には若い人々が目立ちました。若冲の何かが若い人を掴むのでしょう。細かい描写力にも感心しましたが、めりはりのある表現の機微が印象に残りました。私が見ている木版刷りの絵草紙と同じ時代にこのような絵画の活動もあったことを実感できたこと、「酒呑童子図屏風」(狩野派画家か、17世紀半ば)を見られたこと、など収穫の多い展覧会でした。
さらに、本館と東洋館の常設展を見ました。だいぶ前にも何回か見ているのですが、改めて、今回の作品群の背景を広く感じることができることに興味がありました。また、天井が高く、広々とした会場で、それほど多くない観客数の中でゆったりと見られることも、贅沢な時間でした。最終時間まで見ながら、絵本を描いたり、物語を書いたり、いろいろな主題の論文を考えたりする学生さんたちには、特別展だけでなく、こうした博物館の常設展も見て欲しいと感じました。若い感性はきっと何かを掴むことでしょう。
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上方落語の会 2006年08月26日(土)
昨日の夜、念願の上方落語の会に初めて出かけました。近代以前日本児童文学作品研究の授業に来てくださった、落語家の林家染左師匠が5日間の落語会を開くのです。二人の同門の落語家さんが助演し、染左師が二席落語を語る贅沢な落語会です。しかも、演目を観客の希望を聞いて決めるという趣向です。染左師の持ちネタがずらっと並べられ、そこから投票するのです。大胆な、そして楽しみな趣向です。染左師だけでなく、助演の方々も大変です。同じ演目はできないからです。
今日は、林家市楼師が「千早振る」、林家そめすけ師が「青菜」、林家染左師が「胴斬り」と「崇徳院」。どの話も以前聞いたことがあり、親しみのある話です。安心しながら聞きました。江戸時代の人々の発想は実に豊かで軽やかです。
「千早振る」は、在原業平の短歌「ちはやふる かみよもきかす たつたかは からくれなゐに みつくくるとは(ちはやぶる神代もきかず龍田川からくれなゐに水くくるとは)」の意味を聞かれて、とんでもない解説をするところにおもしろさがある話。もともとの解釈は、「神々の力で不可思議なことがたくさん起こった大昔でも聞いてはいないことだ。龍田川の水を美しい紅色に括(くく)り染めするなんて」といったものでしょう。ところが「相撲取りの竜田川は、千早という遊女にも、神代という遊女にも振られてしまった。竜田川は相撲取りを廃業した後豆腐屋をしていたところ、落ちぶれた千早がおからをもらいにきたが、かつての恨みからおからをやらなかった。そこで千早は水に身を投げて死んだが、その本名はとはだった」という、とんだ解釈をするのです。江戸時代後期に出版された『百人一首和歌始衣抄(はついしょう)』という本にこの解釈は出ているそうです。著者は山東京伝で、古典文学の注釈書の形式をとりながら、百人一首の歌十八首に珍解釈を施しています。学生の時、紹介してもらって読んだことがありますが、それをおもしろく聞かせる落語です。
「胴斬り」は、もっとシュールな発想です。試し斬りで胴をすっぱり斬られた男が、あまりにも見事にすっぱり斬られたため、上半身と下半身共に元気で、それぞれが奉公に出るのです。上半身は湯屋の番台に座ります。下半身は麩屋の足で踏む仕事。それぞれの得意分野ですが、上半身は三里に灸をすえてくれ、下半身は茶を飲み過ぎるなと伝言を頼むところが不思議というか、おかしいというか。混乱したり、脱線したりする可能性もある話ですが、時折、染左師は手の二本の指で足を演じ、さわやかな雰囲気でした。落語には「首提灯」のように首と胴が離れたり、ありえないことが何の迷いもなく進んでいく話が結構あります。これは江戸時代の日本人の発想のすばらしさだと思うのですが、どうでしょうか。
「崇徳院」は、大学に来ていただいたときの演目でもあったため、帰り際にご挨拶したとき、染左師に「同じ話で」と気遣っていただきました。同じ話でしたが、場の違いもあるのでしょうが、演出にも微妙な違いがあり、再び楽しむことができました。前の時は若旦那の印象が新鮮だったのですが、今日は熊さんが強く感じられました。あの後、高津さんと生玉さんに行ってみたので、より親しみを感じました。やはり落語は日々生きているのだと思います。全く落語とはすごいものです。
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児童文学科の授業に「ヨーロッパ児童文学研修」があります。大学での授業として勉強をした後、夏休みを利用して約3週間のヨーロッパ研修旅行をするのです。
今日はその旅行の出発日です。9時に関西空港集合。お見送りに行きました。私自身、関空が初めて。どうやっていくかいろいろ考えた挙げ句、たまたま前日が東京でしたから、羽田から関空に飛んでみました。今までも東京から大阪へ飛行機を利用したことはあったのですが、関空は初めてです。
到着してからきょろきょろし、ようやく集合場所に行ってみました。少しずつ馴染みの顔に会います。引率のT先生にもK先生にも会いました。ちょうど同じ日が出発の他学科の留学生にも会いました。
思っていたよりもスムーズに手続きが進んでいきます。皆楽しそうですが、やはり緊張している様子。出国手続き、トランク預け、そして搭乗手続き口へ。ここで「いってらっしゃい」と声を掛け、あとは遠くから離陸を見つめました。
ヘルシンキ、コペンハーゲン、オーデンセ、ブレーメン、ハーメルン、カッセル、シュタイナウ、フランクフルト、ギーンゲン、ゲッピンゲン、マイエンフェルト、ベルン、ジュネーブ、パリ、ロンドン、オックスフォード、湖水地方、マンチェスター、ヘルシンキの行程です。充実したよい旅行でしょう。
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歌舞伎 2006年08月24日(木)
今日は、久々に、本当に久々に歌舞伎鑑賞です。歌舞伎座で開催中の「八月納涼歌舞伎」です。演目は以下の通り。
第一部 慶安太平記・丸橋忠弥、近江のお兼 たのきゅう
第二部 吉原狐 団子売 玉屋 駕屋
第三部 南総里見八犬伝
お弁当を2回食べての10時間余の観劇でしたが、思っていたよりも楽でした。それだけおもしろかったのでしょう。家に帰ってから、数日前の新聞の劇評を読んでみました。結構厳しいことも書かれていて、そういえばということも思いましたが、生の舞台を見たことで、私にとってはずいぶん発見や楽しみがありました。
「慶安太平記」の第二幕には立ち回りが多く出てきますが、スピーディでリズミカルでハラハラしつつ夢中で見てしまいました。謀反人として捕らえられる忠弥を中村橋之助氏が演じているのですが、大暴れの大活躍です。同じ橋之助氏が「吉原雀」では妖艶な芸者になって出てくるのですから、歌舞伎は不思議な世界です。「吉原雀」の主人公は、はやとちりでほれっぽい芸者おきちですが、これを中村福助氏が生き生きと演じています。その福助氏は「南総里見八犬伝」では犬坂毛野を演じます。毛野は八犬士の一人で、女装をして敵の目を欺くのですが、女装しているときには女の声色、毛野自身になっているときは低い男の声で演じ、観客はついつい笑ってしまいます。歌舞伎は役者が大切、役者の魅力が芝居を決めていくということを実感します。坂東三津五郎氏が犬山道節などを堂々と演じている役者ぶりも魅力でした。
最近の歌舞伎は新しい試みもずいぶんしています。歌舞伎に詳しい友人によれば、江戸時代には当たり前のことだったそうですが、伝統芸能、古典という印象が強い現代では、冒険のように思えます。今回も、「たのきゅう」がその挑戦でした。関西で活躍中のわかぎゑふ氏が脚本を書き、舞台装置などについても意見を出したそうです。昔話を下敷きとした楽しいお芝居です。若い人、特に女性たちが楽しめるのではないかと思いました。
去年、近代以前日本児童文学作品研究の授業で八犬伝を取り上げていたので、今回の第三部はどうしても見ておきたかったのですが、ともかく長い話を要領よくまとめている渥美清太郎氏の脚本、今井豊茂氏の補綴に感心します。舞台でどのように見せるか、これをよく考えてのまとめ方が、実際に見てみるとよくわかりました。
客席に若い人々が男女共に目立っていました。歌舞伎も現代を生きているのだと感じました。今後も、また歌舞伎を見に行きたいと思います。
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歩く 2006年08月23日(水)
今日は、東京駅の近くへ行く出張がありました。夕方に終了し、解散後外に出てみると陽ざしが和らぎ、暑い中にもいい風が吹いていました。今日は東京の家に帰るのですが、どうやって帰ろうかと少し考えました。東京の家人のいる家と大阪の一人暮らしの家を行ったり来たりする単身赴任生活では、いつもは朝早くか夜遅くに東京駅を利用します。荷物も多いので、地下鉄か時にはタクシーを利用します。でも今日は時間も早いし、荷物も少なめです。地下鉄に乗るのももったいないなあ、と足の向くまま歩き始めました。
東京駅から皇居に向かって進み、和田倉門前の噴水のある公園を横切り、左にお堀を右に大手町のビル群を見ながら歩きます。パレスホテルを過ぎ、東京消防庁、気象庁の前を通ります。学生の頃、江戸時代の子ども絵本の赤本『おにの四季あそび』に出てくる天候が実際の天気と符合するのか気象庁の図書室に調べに来たことがありました。
平河門前の毎日新聞社、大学教育発祥地の学士会館、如水会館を過ぎます。先だって毎日新聞社ビルの中で、亡くなった古今亭志ん朝師の写真展が開かれていて、家人と共に見に来ました。
一ツ橋の共立女子大学を過ぎると神保町の古書店街。共立女子大学では以前近世文学の研究会が開かれていて、だいぶ通いました。以前は一ツ橋に科研費の事務所もあって、その暗い地下室に書類を貰いに来たことがありました。今はその建物はなくなっています。このあたりも新しいビル群ができて雰囲気が少し変わりました。小学館、集英社、少し奧には岩波書店など出版社も並んでいます。打ち合わせなどに来たこともありました。
神保町の交差点。このあたりはいろいろな思い出があり、書ききれません。
岩波ホールでは、「紙屋悦子の青春」(松田正隆原作、黒木和雄監督、2006年、113分、出演:原田知世、永瀬正敏、松岡俊介、本上まなみ、小林薫など)をやっていました。先だって亡くなった黒木監督の戦争レクイエム三部作の一つ、渾身の遺作です。ちょっと足を向けかけましたが、まあまあと進みます。古書店の多くは6時半にはしまり始めます。児童文学のみわ書房が入っている古書店のビルも閉まっていました。時計を見ると6時35分、惜しいところでした。
水道橋に向かって進みます。もとK学館という予備校だった重厚な建物に、新校舎建築中のB学院が入っていました。著名人が多数卒業生にいるB学院の校舎はその趣のすばらしさから建物を残したいという意見が多かったと聞いていますが、老朽化のため建て直しとなったようでした。とびとびに聞いていたことがつながりました。
神田川を水道橋で渡ると、東京ドームホテル、東京ドームシティ、東京ドームが並びます。東京は深く掘るとよく温泉が出るといいますが、ここでも温泉が出ました。今はLaQuaという施設ができて、温泉も楽しめるレジャーランドです。その隣りが文京区役所の高い建物がそびえ立っています。シビックホールではいろいろな催し物がありますが、去年の夏は一龍斎貞水師の立体講談で怪談噺を聞きました。反対側は地下鉄丸ノ内線の地上駅、後楽園駅。その出口は戦没者慰霊堂のある公園です。この慰霊堂には戦没者の遺品が陳列されていますが、何回か見に行きました。
さらに進むのは千川通り。かつては川だったところを暗渠にした道路です。以前はときどき氾濫していたといいます。私も大雨の時両側の商店街が土嚢を積んでいたところに行きあったことがあります。この通りはかつては柳町商店街で人々が集う賑やかなところだったそうです。この地に生まれ育った家人は、この通りに露店が出、こんにゃくえんまと通称される源覚寺の境内にメリーゴーランドが作られたりした祭日を覚えています。今は古くからの商店が少なくなり、一時期は空き地が多かったところにビルやマンションが乱立しています。
このあたりは下町と呼ばれる地域の端です。昔ながらの人情ある地域で、ここで義父母とのつながりも、地域の人々とのつき合いも経験し、それらの人々に守られてようよう子育てや介護をしてきました。これで自宅のエリアにやってきました。角のスーパーで買い物して帰りましょう。
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団扇 2006年08月22日(火)
ここのところ移動が多く、プログを書けないまま日が過ぎてしまいました。いろいろな見聞もありましたので、遅まきながら日数分を書かせていただきます。
今日は大学で少し仕事があったので、昼頃到着しました。今日も暑い、というわけで、冷房が恋しいのですが、行く先々で冷房が壊れているのです。朝出てきた東京の家は、送風はしますが、冷えません。大学のコミュニティルームの冷房も何度も見ていただいているのに、芳しくない状況です。冷房病が少々怖く、関節がごわごわした感じがするといかんなあと思っていたところでした。冷房そのものが暑さに負けていて、充分に効いていないのは、冷房病にならないと言う点ではいいのですが、汗が普通ではありません。年齢のせいかもしれませんが、汗がとまりません。汗をかくので、水分を摂るとまた汗が出るという状況です。
こうなってみると、昔からの暑さを防ぐ知恵はなかなか優れていることを実感します。いくつもあるのですが、団扇は風情だけでなく、風を送る機能としても優れものです。各地域に伝統の団扇があります。
今年、いつもお世話になっているM氏から奈良の団扇をいただきました。奈良団扇を現在も作って販売している老舗「池田含香堂」の天平模様の透かし彫りのある団扇です。戦前は5、6軒あった奈良団扇の伝統を継ぐ店が、現在はこのお店だけになったそうです。団扇を入れた袋には、『日本山海名物図会』(宝暦4年、1754年刊)の団扇製造の様子を描いた絵が刷られているのですが、店先に団扇をかたどった看板があり、「池田含香堂」と読めます。説明のしおりには、奈良団扇は春日の社人が作ったのに始まり、江戸時代初期の俳書『毛吹草』などにも大和の名物として紹介されていることが書かれています。
奈良団扇は骨組みに特徴があるそうです。竹を普通より細かく割って骨とする「小割(こわり)」という手法を使っているため、細く、数の多い骨で形作られ、よくしなります。また和紙を柄の根本まで張る「元貼(もとばり)」のお陰で、扇の面積が広いのです。したがって、豊かな風を作り出す、実用的な優れものなのです。
池田含香堂では代々引き継いできた模様をほとんど変えず、色もずっと黄、白、青、赤、茶の5色で伝統を守っているそうです。きれいに染め抜いた和紙を20枚重ね、正倉院宝物の天平模様や鹿が遊ぶ模様を型写しして、細い小刀で模様を切り抜くという透かし彫りが特徴です。いただいた団扇は茶色で、夫婦の鹿と大和三山が透かし彫りになっています。あたたかみやかわいらしさが感じられ、上品な雰囲気ながら、力強くいい風を作り出します。ほのかに和紙の香が漂い、良い気分です。
調べてみると、団扇の起源は古く、紀元前3世紀以前の中国の周の時代には存在していたそうです。高松塚古墳の壁画にも描かれていて、涼を取るだけでなく、祭礼などの儀式に使ったり、貴人や女性が顔を隠すための道具でもあったといわれています。後には、紙の部分にいろいろな意匠を凝らし、絵を描くことで芸術性も加わり、また宣伝の媒体にもなったようです。日本には奈良時代に伝わり、奈良・正倉院の御物などにも見られるそうで、今回いただいた奈良団扇の起源は、お店のしおりにあるとおり、春日大社の神職が内職で作った渋団扇からといわれています。透かし彫りが入った現在の奈良団扇が登場したのは江戸時代に入ってからだそうです。
先日、ラジオ放送に出させていただきましたが、そのスタジオがあった奈良市奈良町の伝統ある店々の中に、池田含香堂はあるということで、「歴史街道?ロマンへの扉?」というテレビ番組でも奈良町が紹介された中で出てきたそうです。インターネットでその店構えを見ることができました。http://www.asahi.co.jp/rekishi/2004-07-12/01.htm
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